「経済対策」の愚

もはや旧聞に属することかもしれないが、現行5%の消費税率が来春から8%に引き上げられることが決定された。筆者も、この3%の税率アップ自体は、大筋では致し方のないことだろうと考えている。しかし、制度設計のあり方という観点から考えてみると、この決定に至るまでのプロセスも実にお粗末であり、決定された中身も同様だといわざるをえない。

その最たるものは、ヨーロッパ諸国では広く行なわれている軽減税率が、まともに検討された形跡もなくこの決定に至っている(としか筆者には思えない)ということである。たとえば、標準税率が19.6%のフランスでも食料品や新聞・書籍の税率は5.5%であり、標準税率が20%のイギリスの場合は、食料品や新聞・書籍は0%である*1

これと比較すれば、0%のイギリスは言うまでもなく、今度の税率アップによって、食料品その他に関しては、日本の消費税率はフランス以上になってしまうわけだ*2

しかも、マスコミもほとんど話題にしないので忘れてしまっている方も多そうだが、すでに成立している消費税増税法では消費税率は15年10月にはさらに10%に上げるということになっている。つまり、このまま放っておけば、食料品や新聞・書籍等に関しては、日本はすでにヨーロッパ諸国よりも重税の国になることが確実であり、ごく近い将来に、さらにその重税度が増すことになるわけだ。

ここで、話をシンプルにするために、新聞や書籍については度外視して、問題を食料品だけに絞ることにしよう。そして、まず考えなければならないのは、そもそも、政治は何のためにあるのか、ということだろう。というのも、消費税の問題は(「経済対策」ではなく)典型的な経済政策の問題に他ならないし、一国の経済政策が、その国の政治・社会のあり方の根幹にかかわるものであることも、改めて言うまでもないことであるからだ。

しかし、今回の消費増税をめぐる論議では、この基本中の基本が、まったくなおざりにされているように思われる。端的に言ってしまえば、消費税についての先進国であるヨーロッパ諸国では常識になっている食料品への軽減税率を採用しないということは、この国は国民の「食べる権利」を尊重せず、まともに顧慮さえしないということを宣言するに等しい。

実際には、「国民」といっても決して一様ではなく、貧富の格差が広がるばかりなのは周知の通りであり、消費税率が多少上がったところで何の痛痒も感じず、まして「食うに困る」(=「飢える」)心配などとは無縁の階層が幅広く存在することも言うまでもない。しかし、強いて言うならば、そもそも政治は、そこまで豊かな人々のことはそれほど顧慮する必要はないのだ*3。けれども、年金だけで生活している高齢者に代表されるような貧しい階層の人々については、政治が「知らない」で済ますことは決して許されない。これだけ豊かさが溢れているような社会で、貧しい人々は「切り捨てて」しまえばよいとするような考えは、極めて未熟で貧しい考えでしかなく*4、もし政治がそうした考えに依拠するとしたら、それは政治というものの自己否定でしかないだろう。

現在の自公政権も、さすがにこの社会的格差の問題をまったく無視することはできないと考えたようで、消費税率を8%に引き上げるのにともなって、政府は総額5兆円規模の「経済対策」を年内にも策定するとしている。しかし、これまでに明らかになっている「経済対策」のメニューの中で、社会的弱者の救済にかかわるものとしては、低所得者に一人1万円を直接給付するといった、ほとんど子どもだましというしかない愚策だけであり、これで低所得層の窮状に歯止めをかけられるなどと考えているのだとしたら、愚かというにもほどがある。他に何の手段もないのならともかく、すでに述べたように、ヨーロッパ諸国ではすでに十分な実績があり、広く社会的な支持を得ている軽減税率の導入という手段があるのだ。今、この国の社会がどんな状況にあるのかを多少でもわかっているのであれば、軽減税率の導入に異をとなえる理由はないはずである*5

軽減税率の導入に反対する理由として、対象にする品目を絞り込む作業が大変であるとか、小売店等での事務処理が複雑になるといった意見があるが*6、ヨーロッパ諸国でできていることが日本ではできないなどというのはありえないことで、まさに笑止でしかない*7。また、購入額の乗数で考えると、富裕層にとってのメリットの方が大きくなってしまうというレポートなども発表されているが、これも、まさに木を見て森を見ない議論の典型である。

筆者は、軽減税率の導入(とくに、そのために要する事務的な作業等)が、とてもたやすいことだと言いたいわけではない。しかし、その前提である消費税率の8%への引き上げ自体が、国民一人ひとりの生活にとても大きな影響を及ぼす重大なできごとなのだ。その軽重が理解できない人間に、政治や経済について語る資格はないだろうと筆者は考える。与党の議員諸氏はもとより、民間のエコノミストに至るまで、目先だけの議論にウツツをぬかしてきた諸氏には大いなる反省を求めたい。


ケインズの「一般理論」の画像を掲げたことに、とくに深い意味はない。しかし、現在のこの国の経済政策や、とくにここで問題にした「経済対策」が、経済学の本来の目的や考え方から大きく逸脱してしまっていはしないか、考えてみるきっかけにはしていただきたいものである。

*1:概要は、駐日欧州委員会代表部のこの記事をご参照いただきたい。http://eumag.jp/question/f1012/ 記事にあるように、軽減税率にもまったく問題がないわけではない。しかし、日本はEUのような複数国家の連合体ではないので、制度設計ははるかに容易なはずである。

*2:ちなみに、ドイツでは標準税率が19%で食料品や新聞・書籍の税率は7%だそうだから、消費税率が8%になれば、日本の税率はその時点でドイツをも上回ることになる。

*3:顧慮する必要がまったくないわけではないが、それは彼らを保護すべき対象として見るのではなく、逆に、彼らが不当に必要以上の権力を手中にしたりすることがないようにチェックし、適切にコントロールするという観点からであるべきだろう。

*4:そうした考えは、いずれ社会的不安の増大を招くだけだろう。

*5:筆者も公明党が軽減税率の導入を提唱していることは知っており、もちろんこれは支持したい。ただ、問題はどこまでの覚悟があるかだろう。政権を離脱することも辞さないというのでなければ、しょせんは受けねらいのパフォーマンスとみなすしかない。

*6:この問題は未だに決着がつかず、自民党公明党の間での調整も難航しているようなので、一言述べておきたい。そもそも問題なのは、自民党には「やる気がない」ので「知恵も出ず」、「できない口実だけを探す」という悪循環に陥ってしまっているのではないか、ということだ。そしてその理由は、財務省の中でもあまり優秀ではない保守的な官僚の言いなりになりすぎているからではないか、と推測せざるをえない。筆者にとって不思議で仕方がないのは、これだけ大きな問題になっているというのに、関係者の誰一人として、流通の現場をよく見てもいないのではないかと思わざるをえない、ということだ。すでに焦点は食料品に絞られていると思うので、その範囲に限って述べておくならば、まず「生鮮三品」という言葉ぐらいは理解してもらわなければ困ると思う。これは当然、丸ごと軽減税率を適用すべきだと筆者は考える。その際、和牛は高級品だから別だろうなどというバカなことは言わせてはいけない。そして、もちろん、コメ、麦等の穀物類、塩、砂糖、味噌、醤油は当然このリストに加えるべきだし、生乳をはじめとする乳製品も同様だろう。…差し当たり、ガイドラインとしてはこれで十分なはずで、何千人という人員がいる関係省庁に作業がこなせないなどというバカなことを言ってもらっては困るというものだ。食料品以外では、医療費と新聞にも軽減税率を適用すべきかもしれない。この二つは、単に「軽減」ではなく、消費税率はゼロとすべきかと思う。「生鮮三品」については、こちらを参照されたい。 http://www.weblio.jp/content/%E7%94%9F%E9%AE%AE%E4%B8%89%E5%93%81 =11月28日

*7:おそらく、この種のレポートが政府の判断に少なからず影響を与えたのではないかと思われる。「今後における消費税のあり方等について」http://www.kanzeikai.jp/index.asp?patten_cd=12&page_no=362 実務家からの提言としてかなり参考になるものだが、総論において「所得に対する消費税の負担割合を見ますと、低所得者ほど負担率が高くなるという問題があります」としているにもかかわらず、当時の結論としては給付付き税額控除制度を提言している。その主な理由としては、そもそもは消費者の負担増の問題であるにもかかわらず、このレポートではいつの間にか消費者のことが視点から抜け落ちて、事業者にとっての負担だけの問題にすり替わってしまっていることを指摘しておきたい。実務家の立場としては無理もないことかも知れないが、この点を見落としてしまうとしたら、政治家としては失格だろう。