「秘密保護法」の憂鬱


昨日、「特定秘密保護法案」が、ついに衆議院を通過してしまった。この法案を提出したこと自体、政党政治を自ら否定するようなもので、自民党の歴史的な愚挙というべきだけれども、なしくずし的に成立に手を貸そうとしている公明党みんなの党の責任も、極めて重大だと言わなければならない。

と結論だけを述べても要領を得ない方も少なくないだろうから、お節介を承知で、以下、若干の説明を試みてみよう。

内閣官房が公表しているこの法案の「概要」*1を一読してみて、まず感じるのは、法案の全体が“類いまれなほどの悪文”であるということだ。一般の市民がこの「概要」を読みこなすのは、相当に困難だろうと思う。*2まず、この一点だけで、重要法案としては明らかに失格である。

次に、これも悪文であるということに関連しているのだが、この法案は、そもそも何を目的としているのかも明確でなく*3、「趣旨」として述べられている「国及び国民の安全の確保に資する」ための手段としても適切なものかどうかさえ疑わしいと言わなければならない*4

この点は、法案の条文を見てもいない方には何のことかわからないだろうから、さらに少し説明が必要だろう。どういうことかといえば、この法案がテーマとしているか、あるいは、本来テーマとすべきであったのは行政機関の「内部統制」の問題に他ならないことが明らかであり*5、これを解決するにはわざわざ新たに法律を制定する必要などまったくなくて、各機関の内部でルールを明確化して規律の徹底をはかれば済むはずだし、その方がたしかで望ましいということだ*6。にもかかわらず、なぜこんな法案ができてしまったのかについては、十分に検証する必要がある*7。もしこの点をおろそかにするなら、この国はあらゆる方面において劣化して行かざるをえなくなるだろう。*8

また、この法律はあたかも“公務員だけを対象とするもの”であるかのように説明しているマスコミも多いのだが、法案を読んでみると、これはまったくの誤解だと言わなければならない。法案によれば、たとえ(公務員ではない)一般の市民であっても、「特定秘密を取得した者」は処罰の対象にされるし、さらに怖ろしいのは、ほとんどあらゆることが対象になりうる「特定秘密の保有者の管理を害する行為による特定秘密の取得行為」(書き写していても呆れるほどの悪文だ!!)そのものだけでなく、この行為の「未遂、共謀、教唆又は煽動」も、故意か否かにかかわらず「処罰する」と明記されていることだ*9

これはどういうことかというと、たとえ本人には自分が「特定秘密」に関わっているなどという自覚がまったくなくても、この法律があるかぎり、ほんのウワサだけでも、さらには、根拠となるべきような事実が一切なくても、官憲による捜査の対象にされてしまう恐れが十分にある、ということだ。まして筆者のように、政府を批判するようなことを書いていることが明らかである場合は、いつ何時、「ちょっとお話を聞かせていただけませんか?」ということになるかわかったものではない、ということに他ならない*10

この点も、まったく理解できていない方が多いようだけれども、この法案のように処罰される行為の範囲が極めて幅広く、かつ規定があいまいなままでは、最終的に有罪になるかどうかだけが問題なのではなく、嫌疑をかけられ、官憲=警察(とくに公安警察)の捜査の対象にされるだけで、市民としての普段の生活が重大な危機にさらされる恐れが多分にある、ということは決して見落としてはいけない*11。国会で、安倍総理は「適切な運用をはかる条項がある」などと述べているが、これは「その他」として「本法の適用に当たっては、これを拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならない旨を定める」という申し訳にすぎない一項があるというだけのことであり、法案の骨子が上述のようなものである以上、この安倍氏の釈明など何の保証にもならない。筆者は、あるいは安倍氏には、法律というものの効力(当然、負の側面も含む)を理解するだけの知力がないのではないかと疑わずにはいられない。

ここで、この「秘密保護法」成立後の社会(には断じてなってほしくないが)について、改めて考えてみよう。それは、誰か貶めたい人間がいたら、官憲に匿名で密告すれば目的が果たせるというような「密告が横行する社会」であり、「余計なことは口にしないにかぎる」という風潮に覆いつくされる社会であり、これからの日本にとって最も大事であるはずの「自由で闊達な社会」*12の対極に位置する社会に他ならないだろう。

この法案は廃案にするしかない、というのが筆者の結論である。


#以上の説明でも、どうもよくわからないという方には、ぜひ日弁連のサイトを見ていただきたい。
http://www.nichibenren.or.jp/activity/human/secret/about.html
→ここからダウンロードできる“エッ!これもヒミツ?あれもヒミツ!あなたも「秘密保全法」にねらわれるQ&A”というパンフレットは、かなりわかりやすくまとめられています。

*1:2013年09月03日付で内閣官房内閣情報調査室が公示したもの。その後の国会での審議でいくつか修正が加えられているものの、骨子に変更はないと考えられるので、以下、この「概要」をベースに論じることにする。

*2:筆者は法律の専門家ではないが、長年、公共事業の是非をめぐる行政訴訟に関わってきた経験があるため、行政官庁の手口等についてはかなり詳しくなっているかと思う。

*3:政府もマスコミの多くも、「安全保障」のために「必要な」法律であるかのように説明しているが、実際に法案に目を通してみると、このような杜撰な法案でその目的が達せられるなどと考えるのは、あまりにも幼稚であると思わずにいられない。

*4:法律である以上、「手段としての適合性」というのは最低限満たさなければならない要件であるはずだが、この法案には、この要件さえ十分に顧慮した形跡がない。一国の法律案として上程するに値しない劣悪なものだと言わなければならないだろう。

*5:法案の冒頭の「趣旨」にも、「特に秘匿する必要があるもの(=情報)」について「これを適確に保護する体制を確立した上で」という文言が出てくるが、この「体制」がどのようにすれば「確立」されるのかは、この法案自体からはほとんど見えてこない。この法案でそれができるなどと考えているのだとしたら、現代の社会が直面している課題について余程無知であるか、無能なのだろう。あるいは、この「体制を確立」ということは単なるお題目にすぎず、本当の意図は別のところにあるのかも知れないが、それならそれで、いくら巧妙であろうと、やろうとしていることはペテン師のそれでしかない。政府与党の国会議員諸氏も、法案の作成に関わった官僚諸君も、少しは恥を知るべきだろう。

*6:「内部統制」については、これらのサイトの説明を参照していただきたい。「「内部統制とは」http://ams-t.net/about/ また http://www.itmedia.co.jp/im/articles/0505/10/news112.html

*7:現時点で考えられるのは、安倍内閣には各省庁を適切にコントロールするだけの意思も能力もないということかも知れない。そのために、この法案のような“超法規的な”法律によって脅しをかけることしか思いつかないのだろうかと…。

*8:内部統制の観点からは、必要なのはむしろ適切な情報の開示であって、明確な原則もなく「秘密」が増殖することを助長するようなこの法案は、組織の腐敗や弱体化を招くだけでしかないという点に注意すべきだろう。筆者は国家の情報には一切の秘密があってはならないと主張するものではないけれども、秘密にする場合には、その種類や範囲と秘密にする理由を常に明らかにすることが原則でなければならない。その点のルール化こそが、まず求められていると思う。

*9:こうした条文に目を通していると、スターリン時代のチェコスロヴァキアにおける人権抑圧の実相についての貴重な証言であるムニャチコの短編集『遅れたレポート』(岩波書店)を思い浮かべずにはいられない。まさか、日本にこの作品が描いてみせたような状況がやって来ようとは思っていなかったが、もはや遠い国の過去の出来事にすぎないなどと考えることはできなくなってしまったようだ。

*10:ここで、近代法(とくに刑法)には「罪刑法定主義」という根本原則があるということを指摘しておきたい。簡単にいえば、「どのような行為が犯罪となるのかは、あらかじめ法律で定めておかなければならない」ということで、本来、これは権力の濫用をふせぐために考えられた原則なのだけれど、この法案はそれを完全に逆転させてしまって、「権力にとって不都合なあらゆる行為」を罰することができるようにするものになってしまっているという点に、くれぐれも注意していただきたい。つまり、この法案は、近代法の根本原則を否定するものであり、「法治国家」の基礎を危うくするものに他ならないということは、どれほど強調してもし足りないことである。「罪刑法定主義」については、こちらを参照されたい。http://kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/%E7%BD%AA%E5%88%91%E6%B3%95%E5%AE%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9 こちらも http://kotobank.jp/word/%E7%BD%AA%E5%88%91%E6%B3%95%E5%AE%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9

*11:わかりやすい例を挙げるなら、実際にはやっていないにもかかわらず、電車の中で痴漢をしたと疑われて逮捕された人のことを考えてみればいい。勤めていれば職を失う可能性が高いし、たとえ解雇されたりしなくても、家庭が崩壊する危機にさらされる恐れは十分にある。ご存じの方も少なくないだろうが、これは実際にあったことである。

*12:言うまでもないだろうが、これは決して気分だけの問題ではない。日本の産業の国際的な競争力にも直結するイノベーションの活性化に直接にかかわる問題でもある。