江戸を遠く離れて

盆の帰省の際、少し足を伸ばして、福島県立美術館で開催されている「若冲が来てくれました」展*1を見てきた。

若冲が素晴らしいことは、門外漢の筆者などが改めて口を出すまでもないと思うけれども、この美術展の見どころは若冲だけに限らないので、感じたことの一端をここに記しておきたいと思う。

この美術展で、若冲の他に目を惹かれる作品としては、鈴木其一の「群鶴図屏風」や長沢芦雪の「白象黒牛図屏風」を挙げることには、まず異論がないだろう。

けれども、この美術展で筆者にとってとくに印象深かったのは、酒井抱一の「十二ヶ月花鳥図」だった。「花鳥図」というのは、日本画にとってはおなじみの、むしろ“ありきたり”すぎるといってもいいテーマであり、この酒井抱一の「花鳥図」も、鈴木其一や長沢芦雪の大作に較べれば、かなり地味に見えることは否めない。

しかし、“何が”描かれているかを確認したりするだけでは、この「花鳥図」の素晴らしさにふれたことになるのかどうか、大いに疑問がある*2。やはり、作者が“いかに”描いているのかに目を向けてこそ、初めて見えてくるものがあるに違いない。

そして改めて酒井抱一の「十二ヶ月花鳥図」に目を向けてみれば、その繊細にして優美な筆致、軽やかでいながら大胆な構図など、この作品がどれほど玩味すべき滋味に満ちているかに、きっと気づいていただけることだろう。ただし、この「花鳥図」の場合はとくに、画集等だけでその魅力を感得することは難しいと思う。同展は来月下旬まで開催しているので、できることならぜひ福島まで足を運んで、実際の作品に接してみていただきたい。

それにしても、この酒井抱一の「十二ヶ月花鳥図」で驚くべきことは、その筆遣いがいかにも自由で、およそ古さを感じさせないこと、まるでつい昨日描かれたばかりといってもよいほどに“モダン”でさえある、ということだ。筆者は、日本の近代150年の間にも素晴らしい作品が描かれてきており、その数も決して少なくはないことを否定するものではないけれども、だからといって、この「十二ヶ月花鳥図」がすでに“乗り越えられた”などとはまったく思わない。この作品は、洋画や日本画といった技法の違いを超えて、絵画というものが到達しうるある“高み”に達しているので、後世に描かれた作品と比較して優劣を論じたりすること自体、いかにも虚しいことではないかと思うのだ。

さらに言えば、この「十二ヶ月花鳥図」は、一つの美術作品であるというだけではなくて、酒井抱一が生きていた時代=世界の“自然”についての見方や、それとの接し方を伝える第一級の資料でもあるはずなので、その観点からわが身をふり返ってみると、明らかに酒井抱一たちの時代=江戸の方が洗練されていて、われわれ現代の日本人というのは、彼らに較べるとあまりにもがさつかつ野蛮になってしまっているのではないか、と疑いたくもなってくる。

最後に、若冲その人の作品についてもふれておくならば、この美術展の白眉といっていい「鳥獣花木図屏風」は、そのままモダンアートであると思えるような驚くべき作品であり、どうしてこんな作品が生まれたのかを考えるためだけにでも、見ておいて損はない。

さああなたも、どうぞ福島へ!

*1:http://jakuchu.exhn.jp/

*2:筆者が足を運んだ日にも、この美術展には多くの子供たちが来場していた。当然のことだが、筆者には子供たちが美しい作品にふれることの意義まで否定したりするつもりはまったくない。